Artwork:TAKAGI KAORU「抜里の茶畑に色を咲かせる」 Photo:良知慎也 Model:山田昇 Logo Design:坂本陽一

[UNMANNED 無人駅の芸術祭 / 大井川2024]

2024210日(土)317日(日) / 37日間

大井川鐵道無人駅周辺
(静岡県島田市・川根本町)鑑賞無料

おかえりなさい、
わたしの感性。

静岡県島田市と川根本町という
2つの市町で開催を重ねる芸術祭。

静岡県と山梨県の境にある
間ノ岳にその源を発し、
幾つもの渓流を合わせながら、
駿河湾に注ぐ全長 168kmの
大井川と、
河川に沿って走る大井川鐵道無人駅を
入り口とした
集落全体を
アートの舞台にしています。

過疎化の進む当エリアには、無人駅をはじめ、
耕作放棄地、空き家など

人がいなくなることで
生まれた場所がたくさんあります。

そしてそれは都市部でも起こっている現象。
あらゆる場所が無人になっていく現代。

私たちは無人駅を現代社会の象徴と捉えます。

無人と呼ばれる場に、
どんどん増えていく手の入らない空間。
無人と呼ばれる場で、豊かに生きる人々の光。

この2つを、アートとともに発信し、
地域の再発見に導く取組です

開催を重ねるごとに、ゆっくりと、
でも着実に地域は変化しています。

無人と呼ばれる場所に住む人々は、
アーティストとの不思議な交流により、
地域と自分自身に誇りを取り戻し始め、
アーティストの関わりは、
会期を超え農や食、祭りなど、
新たな地域づくりに染み出しはじめています。

創造と日常が交わる、
ハレの日々がはじまります。

懐かしくて新しい風景に
あなたの感性はきっと
にぎやかに騒ぎ出すでしょう。

あなた自身とあなたの感性が
かえる場所を見つけてみてください。

春を待つ無人駅の先の
ワンダーランドでお待ちしています。

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主催 : NPO法人 クロスメディアしまだ
総合プロデューサー / ディレクター

大石歩真 兒玉絵美

 

忘れかけてしまった記憶を探して

UNMANNED(アンマンド)は、無人の、という意味。この芸術祭は、現代社会を象徴する「人が存在しない=無人」に対して、逆説的に問いかけ「希望」のプロジェクトとするものです。

かつて、宮本常一は以下のように投げかけました。

一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う。『忘れられた日本人』より引用

それから半世紀。集落が町を、町が都市を目指し、地方の風土の上は「都市のような」霧でおおわれ、先進と後進の時代を経た社会はのっぺらぼうの風景に見えています。行き交う人々には目も鼻も口も無く、「人間」という存在が消えつつあります。

わたしたちは、「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」において、2つの無人をテーマとしてきました。

1つは「地方の無人化」です。芸術祭の舞台である静岡県島田市と川根本町の無人駅エリアも過疎の進行とともに無人化へと歩んでいます。大地を耕し、森を守り、大井川の恵によって生きる、そうした生活様式が成り立たない社会が目前にあります。

2つは「都市の無人化」です。地方では町中に、全国では大都市に人口が集中し、巨大な情報化によりこれまで人間が担っていた様々な場所が加速度的に無人化しています。
地方における過疎化、都市における情報化・効率化、同時に無人化が進む現代において、無人駅というフィールドが日本そのものに見えてきます。人が減っていく、その象徴的な場所が、鉄道駅の「無人駅」だと考えます。

当エリアの無人駅は、無人となっても地域住民が花植えをし、週末にはおもてなしの場となり、小さな本棚を設置したりとパブリックとプライベートの曖昧な余白を上手に行き来しながら人の手が感じられる空間として存在しています。そしてその先には、そんな無人駅の持つあわいを纏うような形で集落が広がっていきます。

集落に住む人々は土地に根ざした風習を大切に、自然に寄り添い生きています。普通のじいちゃんが驚くような技術と知恵を持っていること。それぞれの性格、得意、不得意なことも含めて役割がゆるやかにあり、取り残される人など誰一人いない形で集落が回っていること。そこには、脈々と生きてきた人間の存在の軌跡が今も変わらずあり、それは、現代社会が無くしかけてしまった「記憶」「風景」「営み」です。

集落とアーティストは、滞在制作の中で様々な社会的交換を自然に行っています。その交換はお金の価値などでは計り知れない気持ちの交換。義務ではなく互いへの尊敬から生まれます。その過程で生まれた絆が会期を超え集落の日常に様々な化学反応をもたらしはじめています。アート回廊づくり、耕作放棄地が作品になったり、アーティストが集落とのハブに変容しつつあります。

確かに人は減っていく。減っているから地域は消滅するのか。我々はそんなことはないと断言できます。
このゆるやかな信頼関係と、アーティストの地域深く掘り起こす予測不能な視点により、集落の枠はあわくなり輪と層は無限に広がっていると感じます。
無人と呼ばれる場所がひらかれていく姿は1つの奇跡と呼ばれるかもしれない。
我々はこの希望のプロジェクトの歩みを止めることなく進みます。